物語は、事象列、文学は記号で形にするものといってよい。 又、文学であるとは制度で決められる。制度は人間の作ったものであり、 先ずは、「文学」の定義をちゃんとしておかないといけない。 ちなみに、今回の Workshop では確定した定義は出来ていない。
コンピュータで文学を生成する時の共通するキーワードは intertextualityであるが、
断片から文学への再構成においてどのような味付けが必要であろうか?
確かに、情に棹させば流される。しかしながら、非人格的な文学とはあるのであろうか?
コンピュータはヒトではないかも知れないが、コンピュータ製造番号○○番という``人格''や、
シリコンの存在率の違いによる``人格''が存在して、
その人格に基づいた感性が表出されるかも知れない(本当??)。
意味の付与が必要との議論があるが、意味はどのようにしてつくり出すものであろうか?
これも、コンピュータ独自の意味を構成出来るのであろうか?
これは、人間のなせる技であるが、例えば、
T. S. Eliot はかなり、intertextual な作品を書いていると思われる。
特に、彼の詩 ``The Love Song of J. Alfred Prufrock'' は heavily intertextual
と指摘されている(http://www.usask.ca/english/prufrock/)。
では、どこまで、Eliot なりが出ているか? 断片を選んできたのは、Eliot なので、
Eliot の感性が選択、構成の時点で反映はされているはずである。
どれくらいからが機械が作った文学性と言えるか?
素材(断片)の文学性?? 人間の仕込んだ文学性??
更に、文学と制度により認知された文学に対する判断基準(審美基準等)であるが、 コンピュータが持つことが出来るであろうか? コンピュータが笑ってもいいという議論もあった。 笑うためには、笑う発声機構は別にして、 かなり高度な審美判断機能を持っていないといけない
(特定の)受け手モデルという議論もある。審美性、文学という制度とともに、 必要であるが、やはり、少しやっかいなシロモノかも知れない。 マクルーハンの思想や、広告コミュニケーションレベルでいいのか? 劇場でのコミュニケーションモデルも参考になる??
intertextuality by Julia Kristeva
The word's status is thus defined horizontally (the word in the text
belongs to both writing subject and addressee) as well as vertically
(the word in the text is oriented towards an anterior or synchronic
literary corpus)... each word (text) is an intersection of words
(texts) where at least one other word (text) can be read... any
text is constructed as a mosaic of quotations; any text is the
absorption and transformation of another. (pp. 37)
Kristeva, Julia. (1986). Word, dialogue, and the novel. In T. Moi
(Ed.), The Kristeva reader. (pp. 35-61). New York: Columbia University Press