小方 孝 (岩手県立大学ソフトウェア情報学部)
ここで言うSM国家論乃至SMクラブ国家論とは、およそ1990年代からの日本国家を、 SM(サディズム‐マゾヒズム)やそのプレイの場としてのSMクラブの観点から見る、 国家論であり、本論文は、このSM(クラブ)国家論の原初的アイディアを示す。 その目的は、物語生成システム(具体的には、 統合物語生成システムと芸能情報システム)を援用して制作することを目論んでいる、 「私・物語」と仮に呼ぶ物語乃至拡大小説作品における、 「``SMクラブ日本''の段(もしくは場)」とこれも仮に呼ぶ物語の一場面の、 理論的基盤とすることである。従って、SM(クラブ)国家論は、 日本の現実を対象とする国家論であると共に、 虚構の物語乃至小説のための基礎理論として位置付けられる思想的・哲学的基盤でもある。 筆者は、上記私・物語の内容を、共同幻想・対幻想・個人幻想の重層的融合として構成することを構想しているが、``SMクラブ日本''の段(もしくは場)は、 物語における共同幻想的な側面を中核とする、大きな枠組みに相当する。 SM(クラブ)国家論は、新自由主義、グローバリゼーション等の概念によって牽引された、 ここ三十年あまりの日本国家のあり方を整理するために、 それらを支える国家主導権力の側の緊縮的且つサディズム的な体制と、 それに対する抵抗の二つのタイプから成る、謂わば三派鼎立として現在日本国家の構図を描き、その構図に基づいて、主導権力側を経営者とし、 さらにその背後に存在する世界的オーナーネットワークに基づいて成立する、 SMクラブ日本''の姿を構想する。さらに本稿では、執筆途中で勃発した、 ロシアによるウクライナ侵攻という歴史上の大事件についても種々言及する。 これによって、日本における新自由主義とグローバリズムは、決定的な終焉を迎えるであろう。 と言うことは、このロシアによって仕掛けられた進行中のサディズム的戦争は、 SM(クラブ)国家論の構想と``SMクラブ日本''の造形とに、本質的な変質を迫る。 つまり、私・物語における``SMクラブ日本''の段(もしくは場)を、 如何に終わらせるか、あるいは如何に破壊するか、という問題・課題と強く関連する。