【講演概要】

アリストテレスの詩学に対する自然学の ``形相因''・``質料因''および``明晰性''・``可知性''・``包摂性''の適用に関する検討

原田 暢善 (千葉大学フロンティア医工学センター)



アリストテレスの詩学に対する自然学の形相因および質料因の適用に関する検討を行う。 アリストテレスは詩学の中で、演劇の6つの要素、"視覚的装飾"、"歌曲"、"語法"、"思想"、"性格"、 "筋"を挙げ、 再現の対象となるものとして三つ(筋、性格、思想)と再現の媒体となるものとして二つ(語法、歌曲)、 および、再現の方法にあたるものとして一つ(視覚的装飾)を上げ、 6つの要素の分類を行っている。また、筋の統一の章で、 筋の部分と全体との関係の議論で、 「出来事の部分部分は、その一部でも置き換えられたり引き抜かれたりすると全体が支離滅裂になるように組み立てられなければならない。 あってもなくても何の目立った差異を示さないものは、 全体の部分ではないからである。」と述べ、全体の部分部分、 すなわち、上部構造と下部構造の関係性について述べ、また、下部構造の上部構造への拘束性について、部分的に述べている。
ブレンダローレルの"劇場としてのコンピュータ"およびその引用文献である、 スマイリー、Playwritingにおいては、上記の、 詩学における6つの演劇の要素に対して、形相因および質料因の概念を適用して、 6つの演劇の要素が階層的に議論されて、"視覚的装飾"が"スペクタクル (演じること)"、"歌曲"が"メロディー(パターン)"、"語法"は"言語"、 "思想"は"思考""性格"は"キャラクター"、"筋"は"行動"の言葉で表されている。 アメリカのシカゴ大学を中心に、新アリストテレス派とよばれるグループが存在している。 新アリストテレス派は、『詩学』をアリストテレスの哲学の全体の中に位置せしめ、 そのコンテクストの中でそれを解釈するという基本的態度を取っている。 その結果、『詩学』(「創作の技術について」とも翻訳可能)の応用範囲が拡大されたと述べられている。 もともと形相因および質料因は、 アリストテレスの著作の"自然学"の中で議論されている概念である。 ブレンダローレルは、Playwritingにおける6つの要素の記載に関して新アリストテレス派の概念がまとめられたものとして述べており、 上記の自然学の中の形相因および質料因(加えて動力因および目的因)は、 新アリストテレス学派が、詩学の中に、その概念を持ち込み、議論を行ったものと考えられる。 現段階で、岩波文庫の詩学(松本仁助・岡道男)の中で、 形相因および質料因の記載を発見することが出来ていない。 新アリストテレス派は、詩学の中の6つの演劇的要素の相互関係の持つ、 再現の対象および再現の媒体および再現の方法の階層性に着眼し、 自然学における"物体"の"全体"と"部分"に関して述べている、形相因と質料因の議論を、詩学の中に持ち込んだと考えられる。 一方、自然学においては、自然現象の把握の過程の説明においてに以下の文章がある。 「われわれにとって最初に明白であり明晰であるのは、 実はむしろ混然たる集団である。そしてこの混然たる集団からそれの構成要素やそれの原理が可知的なものになるのは、 この集団が分析されてから後のことである。」 続けて「全体の方がわれわれの感覚に対してより多く可知的であり、 しかも普遍的なものは或る全体的なものだからである。 けだし、普遍的なものは多くのものを、いわばその諸部分として、 包摂している[ゆえに全体的なもの]であるからである。」と述べている。 さらに続けて、「これとほぼ同じような関係は、ものの名前とそれの説明方式との関係にも見られる。」との記載がある。 堀田彰氏のアリストテレス、(人と思想、清水書院、1978)において、 上記の記載に関して以下のように述べている。 「われわれの思考はこの世界のうちに秩序をみつけだす。 その思考内容は言葉によって表現され形を与えられる。だから、 事物と言葉とは不可分である。逆に、当該の事物について語られることばの結合を分析しさえすれば、事物の知に到達することが出来る。」と述べている 上記の記載は、"明晰性"・"可知性"・"包摂性"の有する、 外部世界および外部環境から言語概念を用いて、外部環境を切り取る機能、 分節機能を表していると考えられる。自然学の中で、議論されている、 "明晰性"・"可知性"・"包摂性"の分節機能の概念を、詩学の中に持ち込み、 議論を行いたいと考えている。 詩学の中で、"筋の組みたて、その秩序と長さについて"の章の中で、 筋の大きさの議論の中で用いられている、"動物"の表現に対して、 自然学の"明晰性"・"可知性"・"包摂性"の分節機能の適用を検討したいと考えている。