パネルの報告: もっとアピールを!!!!

会場には50名程の人が集まり、議論はかなりホットになりました。 パネラの皆様、議論に参加された会場の皆様に感謝いたします。 恒例の(?) 二次会も机は分かれましたが、夫々の机で議論していたように思えます...
以下に、パネル討論の様子、当日のパネラの発言、会場とのやりとりなどをまとめたものを掲載いたします。 もし、内容に不備があるとしたら、これを書いている私(司会をしていました)に原因があります。 あしからず....

尚、この内容に修正などを施したものが、人工知能学会誌 2002年 1月号 (Vol. 17 No. 1) pp. 74-76 に掲載されています。

<- 県民会館

パネラによるポジション


中島 秀之氏によるAIの位置付け
AIとは?
	知能を知る
	知能を模倣する
	人間の知的支援
	知能を作る
知能とは?
	不完全情報世界でうまくやっていく
		--> 複雑系
			カオス、非分析的、内部観測

科学とAIを比べてみると前者は記述的であるが、後者は構成的である。
歴史を見てみると、SFに書かれたこと以外が実現されている。つまり、
タイムマシンは実現されていないが、internet は実現されている。
				註: 後の議論への布石
プログラムは何回も書きなおす。つまり、0本である

AIとは、東洋的世界観(神のような絶対的なものがない)に基づき、
	内部観測
	矛盾世界
を扱う(現象学のように、「もの」自体ではなくて他との関係で考える)
--->多層システム


松原 仁氏による研究者のプロになるための提言
引用率: 最初に言い出すのがポイント

評価(本音):
	一つでもいい研究をすれば
	数は勿論関係ない
	どの学会誌でも(出していなくても)関係ない

	論文派のプロ
		徹底的にいい論文誌に論文を出す
		論文に載せるにはなんでもする
		載る論文を書くために研究をする
	資金調達のプロ
		業界のボスになる
		職場でどんどん出世する
		官僚、政治家との人脈を作る
	広報のプロ
		マスコミと仲良くなる--何でも一言で書く
		マスコミに露出する
		一般向け(縦書き)の本を書く
		子どもに受ける話をする

--> プロの集まりとしてのAI業界
	夫々のプロを内部で評価
	いかにも楽しそうに見せるのがプロ
	科学でも工学でもないといい切ってしまう
	外に対して自分達の評価基準をアピール

若い研究するプロを年寄りのプロが予算をあげて攻撃から守ってあげる


松澤 和光氏による研究評価への提言
育成の経験から
人事: 業績点と能力点  ---->  業績重視

          本当は未来も含めて最適化すべき

研究評価の多様化を目指して
	アイデアの評価
	研究自体の評価
	研究者の評価
現在は評価が確定したものだけが知識というパラダイムに縛られすぎている
              |
              |
             ↓
評価を出来るだけ後で行う、出来るだけオープンに行う
「公開->審査請求」式の論文
過去に遡って論文賞を与える

学会活動の評価 (ボランティアからの脱却)
	研究的イベントの評価
	エコマネー式ポイント制の導入(査読1件につき1 point など)


堀 浩一氏による別の論文誌の創設の提言
何故論文を書けないか? 
	書くよりも考えること、作って試すことが大切
何故引用数を稼げないか
	計算の仕組みの問題
何故特許数を稼がないか
	フリーで使って欲しい
これらの言い訳は通用するか? NO!!
では?

やっていることを知ってもらう!!

論文誌B を創設?
	考えていることを深く討論
	試していることを深く説明
		結果の評価を査読基準から外す
作品発表会の創設
フリーソフトの流通を助ける
人気投票
専門家審査
専門家審査に対するメタ審査
事後審査


会場との議論の抜粋 (順序は適当に編集してあります)

今回のパネルのまとめ -- 勝手流 --

今回は全く前準備なしでパネルにのぞんだが、以外にもパネラの間では意見の齟齬はなかったように思っています。 会場の方にはやらせじゃないかと思われている方もいらっしゃったかも知れないですが、 事実なんです。
さて、本論。 本当の話をすれば、 確かに、論文をがんがん書ける論文派のプロになることも必要であるかも知れない。 しかし、それは、いい意味で成熟した学問の世界であって、AIのように若い学問では、 それ以前に、AIというサークル(?)の中でお互いを``正当に''評価し合い、 AIがいかに社会に役立つことをしているかを社会にアピールする必要があると思われる。
例えば、近未来チャレンジはAIが社会に役立つであろうということをアピールするために始められたはずである。 AI学会におけるこのような動向を浅く広く広報することで、 AIは使えそうであるというイメージ(幻想?)を社会にうえつける必要があると思われる。

更に、考えていることを深く討論する論文や、何年か後に公開審査を行うような論文誌の創設が必要であると思われる。 単なる評価の先送りではなく、何年か後に本当に評価出来るという体制が必要であると思われる。 それにより、一過性の研究ではなく、じっくり腰を据えた研究も可能になるのではないかと思われる。
現在の国際ワークショップの予稿はそのような論文誌の一翼としての機能を果たしていると思うが、 まだ、一般にワークショップの地位は低く見られているようである。 又、ワークショップによっては、 複数回のワークショップから論文を(新たに)集め、査読などの過程を経た後に リビジョンされた論文を集めて本にすることも行われている。
これからは、研究会主導で(?)このような論文誌の役割を果たしていく必要があるかも知れないと考えている。
皆様は、どう考えられますか?
ご意見などございましたら、lingua@ultimaVI.arc.net.my へお願いします